初恋ならぬ、初「乞い」

人に頭を下げるのが苦手だった。
というか、学生だった頃に、人に頭を下げた記憶がない。

正確には、頭を下げることが苦手なのではない。厚意で何らかの恩を受けたら、素直に頭を下げて感謝することには何の苦もない。
自分から、人に頭を下げて「乞う」ことが苦手なのだ。

やるべきことは、ほぼ自分の努力で達成できた。
人に頼むくらいなら自分でやってしまうほうが楽だった。
いやそれも違う。人に乞いてまで、達成したいことが無かったのだ。
人に乞わねば成せない事象からは、無意識のうちに逃げていたのだ。

長子だからというのもあるのだろうか。僕の妹などは、いとも軽やかに「お願ーい!!」をやってのける。

社会人になると、自分ひとりの力などちっぽけだと痛感することばかりだ。
自営業の僕でもそう感じるのだから、大企業の一員として働く人たちは尚更であろう。
成績は良くても、難関の試験に受かっても、
周囲を巻き込んで大事を成すというスキルが、いかに自分に足りなかったかを思い知らされる。

そして私生活でも、家族が増えると、いよいよ自分の努力だけではどうにもならないことが増えてくる。
妻は妊娠中。ハプニングもある。

今のこの生活を、家族を、何を置いても手離したくない。守りたい。不得手なことから逃げている場合ではないのだ。

お恥ずかしい話だが、この年になって初めて、他人に頭を下げて乞いた。
助けてくださいと。

これまで、何故それができなかったのだろう。
告げた相手が、面倒だなあと嫌悪の表情をするのを見たくなかったからだろうか。
しかし、もし告げられたのが自分だったら、そんな表情をするだろうか?
お願いの内容や間柄にも依るだろうが、困っている人に対してできることはしてあげたいと思うはずだ。

乞うことは、相手を、そして自分をも、肯定し信じることでもあるのだと気づいた。

ちなみに「恋」の語源は「乞い」なのだそうだ(諸説あり)。

  • 人こひ初めしはじめなり – と詠ったのは、かの有名な島崎藤村であるが、
    三十路も見えてきた僕が、今更の「初乞い」。照れくさくもあるが、清々しい心持ちだ。

また、この人生の道程の茨がひとつ解けたような気がした。
まったく自分の想像でしかなかった相手の嫌悪の表情という刺が、消え去った。

今からでも遅くはない。妹に頭を下げて、乞うスキルを伝授してもらい習得していこう。
そして、手離したくないと恋い慕うほど幸せな日々に、感謝をしよう。