慈雨

其の人は、僕を変えた。
自分史と云うものが存在するなら、恰もジュラ紀から白亜紀への移行に匹敵するかのような変化を僕にもたらしてくれた。

其の人というのは、前回記した見合い相手のことである。

実は、第一印象は芳しいものではなかった。初めて対面する前に一通のメールを貰っていたのだが、文体が些か稚拙に感じ、自分とは合いそうにないと感じたのだ。
今思えば何と不遜であったのだろう。そんな浅はかな感情は、実際に彼女と会い、その後何度かメールのやりとりをして完全に一掃された。
誰が相手でも文豪語り一辺倒な僕とは違い、最初のメールは相手を気負わせず返信しやすくしてくれるための、柔軟な彼女の気遣いから来たものであった。
実際に会って僕という人間を理解するや否や、彼女は一語一句吟味された最適な語を用い、機知に富んだ話で楽しませてくれたのだった。

さて、僕はジェンダー差別や「男は〇〇」といった固定観念については嫌悪している立場だが、それでも思わずにいられない。
僕がブログを記していることを母親に教えたことなどただの一度も無い。だが何故か母は知っていたのだ、此処の存在を。そして僕に何の了解も無く、見合いの彼女にも伝えていた。
こうした件の母親の嗅覚や女性の伝播力というのは心から脱帽する。
閑話休題。兎にも角にも彼女はこのブログを読んだわけだ。照れ臭く思いながらも話の流れで感想を聞いてみたところ、僕を揺るがす意見が返って来た。
前々回の行政書士試験の記事についてである。

「従兄弟さんのことを金持ちの馬鹿息子というけれど、
あなたもご両親やご先祖様から、独学で勉強するだけで難関試験が受かる才能を授かっているじゃない。
お金も才能も、物理的に目に見えるか、数えられるかの違いだけで、あなたも恵まれているのは同じ。
そのことにまずは感謝しないと」

個性的な文体だね、といった当たり障りのない感想が返って来ると思っていたので僕は面食らった。
正論すぎてぐうの音も出なかった。
しかし、まったく不快ではない。
彼女は、僕を責めるでも蔑むでもなく、ストンと腑に落ちる言葉で気づかせてくれたのだ。

自分の努力だけで人生を歩いて来たと思っていた。
そして自分でも知らず知らずのうちに、自己防衛のために張り巡らせてしまった
ささくれのようなバリケードを彼女は潤し解してくれた。
慈雨のような人だ。

肝心なことを綴り忘れていたが、見合いという出会いではあったが、所謂「結婚を前提としたお付き合い」というような進展は今のところ無い。
彼女曰く「まだ仕事もやりがいがあり今すぐ結婚など考えられない。でもあなたの話す言葉の選び方が心地良いから、友達として偶に会いましょう」と言われており、
今さら彼女に対して無用なプライドなど一切持たない僕は、それに従う状況を楽しんでいる。
実は僕も、この敬愛にも似た心情が果たして恋愛感情なのかは定かではない。
それでもこの関係を継続するために、今日も彼女が好みそうな言葉を紡いでいこうと思う。